日々思うこと

塙保己一とヘレンケラー

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 『奇跡の人』といわれたヘレン・ケラーは、日本に初めて来日された時に温故学会を訪問し、塙保己一像に手を触れたあと「私は子供のころ、母から保己一先生をお手本にしなさいと励まされて育ちました。今日は来日して最もうれしい日です。」と言われました。
 塙保己一は、全盲というハンディを乗り越え、後世に生きる人々の学問の参考にしてもらうため41年をかけて『群書類従』を編纂したり、水戸光圀から依頼され『大日本史』の校正に当たったりたくさんの史料を編纂しました。木版印刷の時代であった江戸時代後期に生きた保己一の生き方は、人間が持っている限りない可能性のすばらしさを身をもって76歳の人生のなかで示しました。この保己一の生き方は、ヘレン・ケラーをはじめ多くの人々に感動を与えました。

保己一は農家の長男に生まれ、両親の愛情を一杯受けて心豊かな少年に成長しました。しかし、7歳のとき肝の病により失明し12歳のときには母とも死別しました。保己一はしばらくの間うつ状態が続きましたが、やがて15歳のときに江戸へ出る決意をしました。

江戸に出た保己一は、按摩・鍼・灸などの修行をはじめましたが、技術は一向に上達せず自殺しようとまで思ったそうです。

そんなある日、師匠の雨富須賀一に「学問の道に進みたい。」と申し出て、師匠のはからいで賀茂真淵のもとへ入門し幅広い学問を学びました。16歳の正月に「怒らぬ誓い」を基本的な人生観に定め「人間は小さなことで感情的に怒るようでは大業は成就しない。年のはじめに誓い生涯に渡って実行したい。」と心に誓った。この「怒らぬ誓い」を、まわりの人々に感謝と誠意をつくす心に発展させました。ここに塙保己一の非凡な生き方があったのだと思います。

多くの人に本を読んでもらってその場で覚え、一度覚えた知識は生涯忘れなかったということであり、自ら本が読めない不自由な身であるからこそ毎日を真剣に時を大切に生きたんだと思います。

多くの友人が「自分は貧しくて経済的な応援はできないが、幸い目はみえる。いつでも読んであげるから遠慮なく本を持ってくるように」と声をかけてくれたそうです。

やがて保己一の誠実な人がらと熱心に取り組む姿に感動し、経済的に助けてくれる協力者がでてきました。目が見えないというハンディをいつもプラスの方向に考え、愚痴をこぼすことなく、常に前向きに取り組む生き方を手本にしたいものです。